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愚論、暴論そして亡国の危機 [国際政治・軍事]

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https://www.sankei.com/affairs/news/180417/afr1804170001-n1.html
 防衛省の「イラク日報」問題。
 「戦闘」と言う言葉を記載した、しない。隠した、隠さない。あるいは「戦闘地域に自衛隊は出さない筈」云々の論議は単なる言葉狩りのように思えてならないのは、私一人であろうか。もっと奥深いものを論ずるべき時と私は感じる。
 それは、究極のところ、世界に対して日本と言う国は、平和のためにリスクを伴う(血も流すと言う事だ)務めを果たす覚悟があるのかないのか?と言う問いである。
 逆な言葉で言えば、日本の立場は、「危ない事は、よその国がやってくれよ、金は出すから」と言う事なのか?
 あの湾岸戦争で、すったもんだの議論のあげく、かろうじて小さな掃海艇を出したときの記憶に立ち戻るのだ。諸外国に比べるとほんとに小さな一歩であったのだが世界は認めた。
 日本はリスクを賭してでも貢献するんだ、本気なんだと世界に思わせたのである。
 何度、世論は、それを喚起するマスコミは、愚論を繰り返したら気が済むのだろうか?
 平和な国内で想像もつかない「戦闘」を含む不確定要素の中でイラクに派遣された隊員たちはベストを尽くした。
 「戦闘」と言う言葉を政争の具のように扱う今の論議はほとんど意味をなさない。不毛の論議の急先鋒は主に野党だが、与党も必ずしも腰が据わった議論が出来ているとは言い難い。諸外国から見ると日本は平和ボケとしか映らんだろうね。
 日本の世界への貢献のあり方こそ論議すべき焦点であろう。「戦闘があっただろう」「戦闘地域には自衛隊は出さないと言ったろう」と言った重箱の隅をつつく議論はもう勘弁してもらいたいと思う。
 日本が世界の中で独立独歩で生きて行けるのならいざ知らず、世界が平和であってこそ日本の優れた技術や素晴らしい伝統文化も世界に評価されるのである。
 ならば、リスクを覚悟してでも世界の平和に貢献しなければ、日本の生き残る道はないし世界の中で尊敬も得られまい。
 この不毛なる日本の議論を金正恩は鼻でせせら笑ってる事だろう。
 平和を守るためにさえ日本人は戦う気はないのだと。
 「戦争」や「戦闘」そのものが人類の歴史である現実を忘れてはならない。日本人が例えそれを放棄しても「戦争」や「戦闘」は日本を放棄しないのである。その意図に反していつそれは、忍び寄って来るかもしれないのである。
 だからこそ国の防衛・安全保障は欠くべからざるものなのである。
イラク派遣370③.jpg


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