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YOU TUBEを席巻する自衛隊映像 [東日本大震災]

中国漁船衝突370.jpg

 昨年、尖閣諸島での中国漁船衝突映像が投稿され話題となった動画投稿サイト、YouTube。
あの事件に対する認識は、以前ブログでも記述しましたが、本来政府が、一般公開すべきであったものを公開しなかったがために、やむにやまれず一海上保安官であった一色正春氏が投稿という行動に至ったものであります。(私見でありますが)

 それはそれとしまして、YouTube上で「自衛隊」「東日本大震災」の2つのキーワードで検索いたしますと本日現在、実に732件がヒットいたします。
様々な自衛隊映像370.jpg

 それだけ今回の大震災における自衛隊の活動(多くの方々が亡くなっておられ「活躍」と言えないところが誠に残念ではありますが)を国民世論が注目し応援しているという証左でしょう。
 作品群は、単にテレビニュース報道をまとめたものから、写真や映像にコメントをつけBGMを配した凝ったものまでまさに多種多様ですが、いずれも自衛隊の活動を讃えるものが多いのが特徴でしょうか。
 以前も紹介しましたが、その中でも最も私の眼と耳を惹いた2作品をここに再録いたします。
 まずは、「ありがとう!自衛隊!東日本大震災における救援活動」制作者はTheAnchoro氏  
 映像に添付された制作者コメントは以下の通り
「東日本大震災において19,000名以上の命を自衛隊が救いました。世界最高の規律、志気、活動能力、そして温かい心を持った自衛隊が日本にあることを我々は誇りに思います。ありがとう!自衛隊! (私は防衛省、自衛隊関係者ではありません。)」
 内容は、東日本大震災のニュース映像で始まり、自衛隊の派遣についての字幕スーパー、そして、献身的に活動する隊員たちの写真がズームしながら次々に…
 BGМに使用されているのは30年以上前の映画「野生の証明」の挿入曲「戦士の休息」(歌:町田義人)哀愁を帯びたメロディーと心を熱くする歌詞が、隊員たちの献身的な映像とオーバーラップして、30年前の歌がまるで新たな命を吹き込まれたように全く違和感無く心に響いてまいります。
 ご覧になりたい方は、下記映像をクリックして下さい。



 次は、「彼こそが陸上自衛隊」制作者は samurailob氏  
 制作者のコメント欄に書かれているのは、何と昭和32年2月吉田茂首相の防衛大学校第1期生の卒業式における訓示です。
DownloadedFile.jpeg


 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」
 制作者は、防衛大学校の関係者でしょうか? それは不明です。
 ★草創期の防衛大学校
小原台370.jpg

防衛大正門370.jpg


 現在、自衛隊のトップ統合幕僚長は折木陸将。陸上の16期生です。防衛大学校の前身、保安大学校創設から60年、とっくに1期生は退役しており、現在陸海空自衛隊の枢要な役職にあるのは、10期中後半期から20期の後半期あたりでしょうか。
 しかしながら、吉田首相の「激」は半世紀を越えても形を変えて脈々と後輩たちに受け継がれていることでしょう。
 それは、ウェストポイントの米国陸軍士官学校を題材とした映画「長い灰色の線」にも例えることが出来ましょう。
LongGreyLine.jpg

 防人たちの歩んで来た道はまさに「任重く、道遠し」…

 ちなみに初代防衛大学校長の槙智雄先生は、慶應義塾大学出身で山岳登山の経験も豊富なスポーツに長けた方だったとか。
 「自衛官である前に立派な社会人であれ、紳士であれ」が教えだったと言われております。私も所属したパラシュート同好会活動の初期の頃に学生が事故のため負傷し部活動が存続の窮地に陥ったとき「スポーツに事故はつき物。リスクを克服して実行していくことを学べ」と部活動の継続を決断されたことは部の語り草となっていました。
 余談が長くなってしまいました。
 映像は、まさに献身的に被災地で活動する自衛隊員の真摯な姿で綴られています。背景に流れる音楽は、クラシックなドキュメント風のわずか1分30秒あまりのBGМです。映像とBGМのマッチングが絶妙でインパクトが何倍にも増幅されて迫って来ます。
 先ほどの吉田茂首相の「檄文」の言葉を噛み締めながら見ると国を守り国民を守るという自衛隊員たちの崇高な使命感に圧倒される思いがします。
 アトランダムに並べられた(かも知れぬ)映像の最後に被災地で赤ちゃんを抱く自衛隊員の笑顔に救われた思いと未来への希望を感じることが出来るでしょう。
 数多あるYouTube映像の中で私の一押しの映像です。
 ご覧ください。



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TBS「みのもんたの朝ズバッ!」で自衛隊の活動を賞賛〜自衛隊の幾多の変遷に想いを馳せる [東日本大震災]

朝ズバ1/370.jpg

朝ズバ2/370.jpg

 今朝のTBS「みのもんたの朝ズバッ!」で今回の東日本大震災における自衛隊の活動ぶりを紹介しておりました。
南三陸町の被害370.jpg

 津波による壊滅的な被害を受けた南三陸町(上記写真)で行方不明になったある消防団員のご遺体を発見してくれた自衛隊の部隊に遺族の方が感謝の手紙を送られたそうです。その手紙のお礼にと当時捜索を担当した隊員たちが遺族のもとを訪れ、お線香を上げるシーンが映像で流れました。
 映像から察するに隊員たちの所属部隊は、福岡県小倉にある第40普通科連隊と思われました。
 一人の若い隊員がインタビューに答えました。
「(捜索に当たっては)自分の身内がいるつもりで捜索しております。」
 TBSのスタジオで、総合司会のみのさんが自らも家族を失った隊員も捜索に参加していることを紹介しました。 そして、みのさん自らその隊員にインタビューした時、その隊員は、「国を守ることが家族を守ることです。」と答えたと言うエピソードも。
 あのみのさんが、声を大にして発言しました。「自衛隊は今回本当によく頑張っている。見直した!」
 そして、スタジオのコメンテーターの方々も異口同音に、「凄い働き!」「献身的にやって頂いている」「誇りに思います。」との声が相次ぎました。

 陸自OBの私が思うに、自衛隊としては、国家国民のためにやるべきことをやって当たり前の世界であります。
 思い起こせば、自衛隊の歴史には、これまで紆余曲折がありました。
 1950年(昭和25年)警察予備隊が発足し、その後、保安隊から自衛隊へとその歩みは60年に及びます。
s25 警察予備隊訓練開始370.jpg
警察予備隊の制帽370.jpg

その時代、私の父も警察予備隊に入隊しました。(下記写真 父と私)
父と私370.jpg

 「税金泥棒」などと悪態をつかれ石を投げられたこともあったと言う時代です。
 沖縄が返還となって以降、自衛隊も沖縄に駐屯することになりました。当時沖縄で成人した若い自衛官たちは地元の成人式参加も反対派の抗議にさらされました。ほとんどいじめの世界。しかしそう言う時代だったのです。
 私が防衛大学校へ入学したのが昭和45年。大学紛争の最中でした。同年、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊東方総監部で割腹自殺をし、47年には、赤軍派による浅間山荘事件が起きました。
三島由紀夫.jpeg

浅間山荘事件.jpg

 平成2年夏、イラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争を契機として、日本の掃海艇部隊が湾岸戦争終結後の機雷掃海のためにペルシャ湾に派遣されたことは、戦後ひたすら自国の平和をのみ希求していた日本にとって歴史上特筆すべき画期的なことでした。
 まさに世界の中のニッポンを初めて自覚したのでした。
掃海艇2/370.jpg
 
 掃海艇派遣は、日本が国際社会に果たす役割を行動で示す先駆けとなる活動でした。
 その後、カンボジアPKO派遣に始まり、あのイラク復興支援活動を経て現在のハイチ国際平和協力業務に至るまでの多種多様な自衛隊の国際貢献が実施されて来ており、列国軍隊と比肩しても極めて高い評価を得てそれぞれの任務が完遂されております。
 派遣された外国に評価されると言うことは、即ち日本の国際的地位の強化にも少なからず役に立っていると言うことです。

 ★炎暑の中、サマワの子供たちと交流する隊員たち
サマワの子供たち370.jpg

 ★砂漠に日の丸が翻る。まさに“SHOW THE FLAG”    
   “BOOTS ON THE GROUND”
車列見送り7/370.jpg

 噂によれば、ハイチ派遣の隊長S1佐は、20数年前、私が滝川の中隊長時代に赴任して来た幹部候補生でした。
 後輩たちの海外での献身的な活躍を誠に頼もしく陸自OBとして、そして日本人として、とても誇りに思います。

 ★ハイチ国際平和協力業務
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 ★平成15年、私の27連隊副連隊長時代。母と妻と共に 
  釧路駐屯地にて
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 平成18年、私(2代目)は55歳で定年退官。その翌年に防衛庁は防衛省へ昇格しました。
 愛される自衛隊の時代から、真に実力を備え信頼される自衛隊へと変遷を重ねて来たこの時期に東日本大震災と言う未曾有の大震災が生起しました。
 この国難とも言うべき「有事」に際して、自衛隊が営々と60年の間、築いて来た真の実力(隊員個々の士気をベースとした組織としての力)を今まさに発揮しつつあると言うのが私の評価であります。
捜索活動370.jpg

医療活動370.jpg

 思うに、自衛隊の歴史の中で今回ほど、各マスコミや国民世論が強い期待と高い評価を自衛隊に寄せたことはなかったのではないかと思います。
 隊員たちも疲労困憊とは思いますが、国民に感謝されてこそ士気も上がるのです。苦労しても苦労しがいのあるのが、今回の災害派遣でしょう。引き続き頑張って頂きたい!
 今回の大震災を契機に自衛隊に対するマスコミや国民世論が飛躍的に高まり、今後よい意味で自衛隊を巡る環境に大きな転換があるのではないかと言う予感さえ感じます。

 私がまだ現役の時代、陸上自衛隊は二十一世紀に向けて、「誇り高き陸上自衛官の心得」を定めました。
 その中心になるのは
「挑戦、献身、誠実」の三つの言葉でありました。
挑戦 献身 誠実370.jpg

 派遣された10万名余の陸海空自衛隊の隊員たち全員が一丸となって、今まさにこの言葉を体現しているのだと信じます。

 YOU TUBE検索中こんな映像を発見しました! 下の画面中の矢印をクリックしてください。映像がご覧になれます。
samurailob氏制作の
「彼こそが陸上自衛隊」
 言葉はいらない!  わずか1分30秒に込められた熱い想いが胸を打つ…



 ★様々なサイトから隊員たちのチャレンジャブルで誠実なる  献身ぶりを…
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自衛隊④/370.jpg




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復興支援、様々な形。札幌では… [東日本大震災]

 ★札幌駅前通り「地下歩行空間」(照明度57%)
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 東日本大震災直後の3月12日オープンした札幌駅前通りの「地下歩行空間」。(名称が堅い。何かよいネーミングないのかしら。○○スペースとかね…)
 昨日夕方6時過ぎが上の写真。ちょっと暗いですよね。震災後の自粛ムードの中、節電と言うことで照明を落としておるそうです。57%とか。でも誰も文句は言いません。
 札幌駅方向から大通公園に向かって地下を歩くと左側に何やら大きな写真がズラーッと並んでいました。札幌駅方向からだと写真しか見えなかったんですが… 近づいて見ると写真と漢字の面が立体的に歩行者側に突き出してディスプレイされております。(下記写真)

 ★「地下歩行空間」北1条通りで展示されている写真と漢字
写真展左から.jpg

 これは、元コンサドーレ札幌の曽田雄志さんらが始めた復興支援活動「EN(えん)プロジェクトジャパン」の一環だそうです。http://www.enproject.jp
 道内ゆかりのアスリートの皆さんが被災地へのメッセージとして選んだ漢字一文字を書道家の八戸香太郎さんが書き、写真家の馬場杏輔さんが選手を撮影。
 通りすがりの歩行者に強くインパクトを与えるメッセージ性の高い展示でした。

 ★陸上女子100m200mの日本記録保持者、福島千里さん  は、ちょぴり笑顔で、協力の「協」
福島千里「協」370.jpg

 ★スキージャンプの船木和喜さんは希望の「希」
  よく見ると書の台紙には東日本大震災を報道する新聞が使  われていました…

船木「希」.jpg

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 見終わって大通り側から写真を見ると文字だけの展示に見えました。(下記写真)
 この展示の「アイデアと熱い想い」伝わって来ますよね。
 アスリートやアーティストたちの復興支援活動もこれからいろんな形のものが行われることでしょう。私も映像制作活動やブログくらいしか手段がありませんが、この展示を見て自分なりの復興支援を考えたいと思いました。
右から370.jpg


 なお、作品の展示は、4月30日まで。アスリートの皆さんの募金活動は、23、24、30日の午後2時15分〜5時の間に行われるそうです。

★写真家、馬場杏輔さんのブログ http://www.hfweb-blog.jp/ray_of_lights
★書家、八戸香太郎さんのサイト http://kotarohatch.com


  

長渕剛さん、被災地そして自衛隊を慰問激励! [東日本大震災]

 ★長渕剛さんら、被災地や自衛隊を激励!
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 ★下の画面の矢印をクリックするとフジテレビで放映された映像がご覧になれます。


 歌手の長渕剛さんやTUBEの前田亘輝さんが被災地や自衛隊を訪れ、激励したと言うニュースが昨日大きく報道されました。
 訪れた避難所でギター1本、「♪とんぼ」をみんなで一緒に熱唱すると思わず涙を拭う人たちも… 
 ここしばらく涙腺が緩くなりっぱなしの私ですが、またまた胸が熱くなってしまいました。
 歌でみんなの心を一つに出来ること、アーティストならではの激励の仕方に感動! 
 長渕さんは、その後、何と石巻市総合運動公園の自衛隊宿営地を訪れ、「みなさん(自衛隊)の勇姿を見せつけてください!」と熱く激励。(下記写真)
皆さんの勇姿を/長渕370.jpg


 さらに東松島市の航空自衛隊松島基地も訪問し熱唱!  
 格納庫に集まった1500名の隊員たちも長渕さんから元気をもらった様子がよく分かる「固い絆」を感じる感動映像でした。隊員たちは長渕さんの熱い気持ちをしっかりと受け止めたようです。
 被災地を訪れても自衛隊まで慰問しようとするアーチストはいません。長渕さんの細やかな心遣いには頭が下がる思いです。
 また一層、長渕さんのファンになってしまいました。ありがとう長渕さん!

 ★航空自衛隊松島基地を訪問し熱唱する長渕剛さん
長渕2/380.jpg

 ★空自松島基地での1500名の隊員たちを前に熱い感動ライブの模様はこちら



 以下、参考に「日刊スポーツ」のサイトに掲載された記事を引用
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110417-762205.html
P2011041601212_nagabuti-ns300.jpg

 音楽家長渕剛(54)が16日、宮城県石巻市、東松島市を拠点に救援活動する自衛隊などを慰問した。航空自衛隊松島基地の飛行機の格納倉庫内で行ったライブで「とんぼ」「乾杯」6曲を披露。  長渕いわく、震災後に「歌なんか歌っている場合じゃねえよ」とうちひしがれる自分を救ってくれたのが、自衛隊の姿だという。行方不明者の捜索、物資の供給、山のようながれきの撤去…。震災で家族を失った隊員も、目の前の任務を遂行していた。全ては日本の、国民のために。その姿に長渕は「たまらなくいとおしくなって、抱き締めたい」と思い、東京から駆け付けた。  沖縄第5高射群の山本祐敬士長(28)は「強い気持ちを持って沖縄からここにきましたが、今日の出来事で自分が出来る極限が、伸びた感じがします」。約1500人の隊員は、肩を組んで長渕と声を合わせ、復興に向けて気持ちを新たにしていた。(以上日刊スポーツより)

 ★こんな映像も見つけた!        「ありがとう!自衛隊! 東日本大震災における自衛隊の災害救援活動」        ♪男は誰もみな無口な兵士… 町田義人の「戦士の休息」のBGMがたまらく切ない。誰もが熱い涙なしでは見れない。これぞ感動映像!
TheAnchoro氏制作



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危機管理の原点「キューバ危機」問われるリーダーの資質とは? [東日本大震災]

 ★第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ
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 ★当時のソ連フルシチョフ首相
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 ★アメリカは海上封鎖によりキューバへの更なる核ミサイル
  持ち込みを阻止
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 ★ケネディと軍首脳たち
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 危機管理(Crisis Management)の原点と言えば、アメリカのすぐ南に位置するキューバを挟んで、1962年10月15日から13日間に渡って米ソ間の冷戦の緊張が核戦争寸前まで達した危機的な状況のことでありましょう。
 いわゆるキューバ危機です。

 ★指揮官は孤独なり。苦悩するケネディ
トップに求められるのは…ケネディ370.jpg

 如何に核戦争を回避するか、米ソの行き詰まるやり取りは世界の注目を集めたのです。
 この時から「危機管理(Crisis Management)」の重要性が叫ばれるようになったと言われております。
 平易な言葉で言えば、想定された事態、あるいは想定もされなかった事態が発生したとき、どのように問題を解決するかということです。
 危機管理においては、分析評価する評論家的な態度だけでは状況に対応できません。リーダーは決断力とリーダーシップが要求されるのです。
 今回の東日本大震災や福島原発に対する政権の対応は様々に報道されていますが、日本及び世界のために、後刻、危機管理の観点から詳細に分析評価する必要がありましょう。

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防災と自衛隊 [東日本大震災]

 ★総合危機管理士の認定証(表)
総合危機管理士認定証370.jpg

 ★総合危機管理士の認定証(裏)
総合危機管理士認定証裏面370.jpg

 上記写真は、平成18年に私が陸上自衛官として現職最後の年に北部方面隊で受講し取得した「総合危機管理士」の資格です。
 わずか2ヶ月あまりの教育でありましたが、自衛隊を退職して、一般社会に出ても自衛隊で培った計画企画能力と実行力をベースに様々なレベルの危機管理(国家レベルから自治体、企業、学校など各組織)に対応できるような識能を付与する教育でした。「総合」という頭文字がつくのはそのためです。
 教育を修了し、その後自衛隊を定年退職した者の中から自治体の危機管理監や防災担当者に再就職してその手腕を発揮しております。自衛隊とのパイプ役としてはまさに適任でしょう。
 自治体の防災訓練などにおいても、自衛隊で行ってきた指揮所訓練(図上演習)のノウハウなどを発揮して活躍しているのです。今回東北各県の自治体にもおそらくそのようなOBたちが力になって自衛隊との密接な調整を行い円滑な災害救援に寄与したことは想像に難くありません。
 このように現在は、全国の多くの自治体の防災担当者として自衛隊OBたちが頑張っている事実はもっと国民にも知らされてよいと思います。
志方俊之370.jpg

 その先駆者と言えばやはり志方俊之氏(上記写真)でしょう。北部方面総監として1991年にビッグレスキュー'91を企画実行し自衛隊の大規模災害への能力を実際の演習を通じて検証したのです。BIG RESCUEと言うネーミングも絶妙でした。(下記写真)

 ★BIG RESCUE '91(緊急医療支援訓練)の模様
  まるでコッポラの映画「地獄の黙示録」を思わせるような
  シーンです。
ビッグレスキュー1.jpg

ビッグレスキュー4.jpg

ビッグレスキュー2.jpg

ビッグレスキュー5.jpg

 災害地で助けを求める人たち(これも演習の中で隊員が演じたのです)を救出すべく赤十字マークをつけたヘリコプターや戦車、装甲車が演習場狭しと走り回る様は全国に報道され、衛生科部隊を頂点とした巨大な兵站組織を構成など、私たち当時の現役隊員にとってもそれまでの一般的な演習とは一線を画する画期的な演習でした。 
 その後、ほどなく奥尻島の地震や阪神淡路大震災が立て続けに起き、ビッグレスキューを通じて得た貴重なノウハウが自衛隊の災害派遣活動において少なからず発揮されたのです。まさに先見の明とはこのことでありました。

 ★ビッグレスキュー'91から2年後に生起した南西沖地震
  津波と火災で被災した奥尻島青苗町 (下記写真)
奥尻島/津波と火災に370.jpg


 ★地震が起きた未明には真駒内駐屯地から医療チームがヘリ
  コプターで奥尻島へ出動
  まさにビッグレスキュー'91の再現シーンのよう
  (下記写真)
奥尻島へ医療部隊.jpg

 今にして思いますと、当時異様と思われた写真の情景そのものが、全く違和感もなくあの東北エリアにおいても展開されたのです。人々の命を助けるために。

 志方氏は、その後退官され、軍事アナリストや帝京大学教授として活躍の一方で東京都の参与(副知事・防災担当)として石原都知事のもとでビッグレスキュー2000などを企画され自衛隊を大規模に巻き込んだ首都防災訓練を断行されました。
 銀座に装甲車が走り地下鉄に迷彩服が溢れる様は一部の市民団体から「治安出動訓練だ」などと反対活動の標的とされ、また何と「防災に名を借りた軍事演習」と揶揄する大手A新聞もあったのです。それは、単なる主義主張の違いで片付けられない国民の生命財産を守る観点の欠如した穿った見方でありました。
 今回の東日本大震災における自衛隊や米軍の献身的活動を彼らが今どう評価しているのか聞いてみたいものですね。

 ★下記写真は東京都防災訓練「ビッグレスキュー2000」関連
  地下鉄車内に迷彩服の隊員が!
地下鉄に隊員370.jpg

  銀座の目抜き通りに装甲車が!
銀座装甲車370.jpg


 10万名を超す自衛隊員が派遣されて被災地支援に当たっております今回の東日本大震災ですが、今度は、首都直下型や東南海地震がいつ起きてもおかしくない活動期に入ったと識者間で言われ始めております。
 その時に自己完結能力をもって即、組織的な現地の救命救援にあたるのは自衛隊をおいて他にないことは、今回の東日本大震災を通じて証明され国民も十分に理解できたのではないでしょうか。
 首都圏でもし起きますと国の中枢も人とインフラが間違いなく甚大な被害を受けるでしょう。それは今回の被害規模とオーダーが桁違いとなることを意味します。指揮系統も混乱の極みとなることが予想されます。
 首都直撃の災害発生とともに、国民の命を預かる国のリーダーやスタッフたちは今回以上の過酷な状況の中で様々な究極の決断を迫られることになるのです。情報も途絶するでしょう。国民もまずは自らの判断で行動することが求められると思います。
 「最悪に備えよ」それが国家レベルから卑近の家庭レベルまで危機管理の要訣であることを忘れてはなりません…



国難における軍事組織の価値とは [東日本大震災]

 ★大震災から1ヶ月、宮城県庁で黙祷する自衛隊員たち(読売新聞4月11日夕刊)
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 東日本大震災から1ヶ月が経ちました。直接被災していない私たちにとりましても、とても長く重々しい1ヶ月だったように思います。しかし時間の経過にも関わらず被害の全貌はいまだ明らかになっておりません。未収容のご遺体もまだ1万人以上… まだまだ被災者のご労苦は続いております。
 福島原発もまだまだ先が見えません。
 現地で活動する様々な組織、そしてボランティアの方々も本当にお疲れさまです。

 ★棺の花に手を添える自衛隊員(朝日新聞4月9日夕刊)
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 本日、札幌は久々に暖かい春の陽気。所用で真駒内駐屯地を訪れますと、本当に静かで、新隊員たちの基本教練の声だけが響いておりました。この駐屯地からも多くの隊員たちが被災地に赴いているんだなあと実感がいたしました。
 ある指揮官とお話しすることが出来ましたが、やはり現地で活動にあたる隊員たちの疲労も相当にあると言うことで交代の要領について慎重に検討していると言うことでした。それは遺体収容に伴う隊員個々の心の痛みと言えるのかも知れません。隊員たちにも家族があります。自分の家族に置き換えてみるととても他人事と思えない状況なのでしょう。
 今回の震災では子供たちも数多く命を落としました。同じ年頃の子供たちを持つ隊員も多いのです。我が子を捜すつもりで皆探しているんだと言う話も聞きました。
 遺族にとっても捜索する隊員たちにとっても心身のストレスは想像以上のものがあることでしょう…

 ★小学校で泥の中から鍵盤ハーモニカを取り出す自衛隊員(朝日新聞4月9日夕刊)
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 ★フジテレビ「とくダネ」
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 今回の震災に際する自衛隊の活動につきましては、マスコミ全般そして、被災された方々からは、感謝や評価する声が多いことは自衛隊OBとして、そして国民の一人としてとても誇りに思います。
 今日も朝のフジテレビ「とくダネ」で小倉智昭氏が自衛隊の保有する機材、様々な能力について高く評価するコメントを述べておりました。
 自衛隊という軍事組織は、基本的には侵略に対する防衛作戦行動を基準として日頃あらゆる訓練を積み上げておるわけでして、各種兵器や装備もその任務を達成するために保有しております。
 特に兵站面(弾薬、燃料や食事等)においては他の支援を得ることなく活動できるように所謂「自己完結能力」を保有しております。他の組織にないその能力こそが、今回のように全くインフラの枯渇した被災地での活動にあたり、存分に発揮されていると言えます。これ(自己完結能力)は、警察・消防などの組織にはありません。それこそが軍事組織(国際的常識ではこれを「軍隊」(Army Navy AirForce)と呼称します。)が軍事組織たるゆえんと言えます。固有の能力と言えるでしょう。
 今回の大震災においては、まず放射能に対する特殊武器防護能力やヘリコプター輸送能力が脚光を浴びました。そして今は、自衛隊の持つ兵站能力の中でも特にドーザ等の施設器材能力による道路整備が目に見えて被災地で進捗しており、また野外炊事車・給水車そして野外入浴セットなどが避難所で生活する被災者の皆さんに大変喜ばれておるように報道されております。
 本来、自衛隊の行動の基準(基準の物差し)は有事(防衛作戦行動)にありますが、今回は敵の弾も飛んで来ないわけでありまして(敵の代わりに放射能はありますが…)、その意味では未曾有の大災害ではあるものの、まだまだ自衛隊の組織や隊員の活動のキャパシティの範疇に収まっているとも言えるのです。
 このようなことを考えますと、やはり、自衛隊のように常在戦場の心構えを持って有事即応の体制を維持する自己完結型の組織が日本の国の中に厳然として存在することの意義と言うものを改めて強く感じる次第であります。
 国難における「最後の砦」。それが自衛隊なのです。

 ★宮城県知事の村井嘉浩氏
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 余談ですが、被災自治体の長として大変なご苦労をされております宮城県知事の村井嘉浩氏は陸上自衛隊出身です。防衛大28期生、元陸上航空のヘリコプターパイロットであり、1等陸尉で中途退官された後に政治家への道を歩まれるという異色の経歴の方です。
 プロフィールはこちらから  http://www.pref.miyagi.jp/hisyo/hisyo_page_2.htm
 テレビの番組の中で自民党の元防衛大臣、石破茂氏が「あなたは自衛隊出身でもあるし頑張って復興に当たって…」と激励しておられました。「ハイ」と石破氏の言葉に姿勢を正して応対した村井知事の一瞬の仕草に自衛隊OBらしい誠実さと礼儀正しさを視たのは私一人ではないでしょう。
 激務大変かとは思いますが、「身を挺して職務の完遂に努める」自衛隊スピリットを発揮して頂きたいと心からのエールを送りたいと思います。


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「頑張ろう!東北」自衛隊員のヘルメットにキャッチフレーズのシールが [東日本大震災]


 テレビを見ていますと現地で支援活動にあたる自衛隊員たちの被っているヘルメットにメッセージを書いたシールが貼られております。
 東北方面隊のウェブサイトを久々に見ましたら、トップページ(下記)に隊員のヘルメットの写真が掲載され説明がなされておりました。
 被災者に対する希望の付与と支援にあたる隊員たちの士気高揚を図るのが目的だそうです。
頑張ろう!東北370.jpg

http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq
 キャッチフレーズは各部隊ごとに決めているそうです。(下記)
各部隊キャッチフレーズ.jpg


 先日ニュースステーションでも番組の終わり間際に古館キャスターが自衛隊員たちの現地での活動を頭が下がると賞賛しておりました。
 別に自衛隊だけが頑張っておるわけではないと思いますが、10万人規模の派遣と言いますと、陸海空、全国どこの駐屯地も半数以上は被災地に出動していると言う計算になります。震災&原発対応に大半の精力を注いでおるわけです。
 北海道から派遣された隊員に初の殉職者が出たとの報道もあり胸が痛みました。心から哀悼の意を表する次第です。
 長期の活動が予測される中で、支援活動の交代もありますし、本来の防衛任務もおろそかにできません。誠に大変な時期と思いますが、引き続き健康にも留意しながら隊員の皆さんが支援活動に邁進されることを切望してやみません。



日米共同「トモダチ作戦」の原点 [東日本大震災]

 ★読売新聞3月28日朝刊第2面
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 大震災に対する米軍の支援が際立っております。読売新聞によれば4軍(陸海空軍と海兵隊)合わせて約1万6000名と報じられております。
 福島原発に対しては、核専門部隊の派遣も始まっており、ますます緊密な日米の連携が前例なき規模で行われており被災地支援への大きな力となっておるようです。
 “OPERATION TOMODACHI”のネーミングもフレンドリーで絶妙かと思います。
 被災地の学校で黙々と献身的に清掃活動する米兵たちには、さすがに組合の先生たちも感謝するしかないですよね。偏ったイデオロギーはこのような時、意味をなしません。

 ★スポーツ報知
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 ★読売新聞
米海兵隊/島に必要と…350.jpg

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 ★北海道新聞
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 私も現役当時、山桜(YAMA-SAKURA)演習と呼ばれた日米共同指揮所訓練に何度も参加したことがありますが、片言のコミュニケーションではありますが、朝な夕なに顔を突き合わせて一緒に訓練するうちにすっかり打ち解けて心を通い合わせることができたことを思い出します。
 国は違えども、そもそも同じミリタリー(軍人)の道を目指したもの同士であり、ものの考え方には共通点が多く、違和感もなく仕事がらみのジョークが通じることに驚いた記憶があります。陸自の職種気質も米軍と極めて似通ったものがあるんです。
 自宅に招いて家庭料理を御馳走したりホームビジットも積極的に行い、演習を通じて多くの友人ができ、彼らの住むハワイまで、家族とともに2度も訪れ旧交を温めたこともありました。
(下記写真 1998年、自宅にて)
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 このように長い年月の間に自衛隊と米軍は様々なバリエーションの共同訓練を積み上げてきたわけでトップから末端の隊員まで草の根レベルでの交流を通じた強固な絆が培われていたからこそ、今回の迅速な米軍の対応につながったのではないかと私なりに思います。
 まさに『トモダチなら当たり前!!』のアメリカンスピリットでしょう。

 昨年の沖縄の米軍基地移転問題がこじれて以来、政治レベルにおける日米関係は、かなりぎくしゃくした状況が続いておりましたが、自衛隊と米軍という軍事レベルでは物心両面ともに全くノープロブレム(問題なし)と言うことが証明されたのではないでしょうか。

 ★「救援活動のお礼」米軍にワッペンを提供(産經新聞)
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雨宮氏350.jpg

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 産經新聞によれば、米海軍関係者と長年親交のあった日本人が今回の米軍の救援活動に感銘を受けて自作のワッペンを製作し、「日米の懸け橋になれば」と無償で提供したそうです。(上記写真)
 そう言えば、米国軍人とは共同訓練の度によくTシャツやワッペン、メダルなどを創って交換していたことを思い出します。これらのものは『相互の絆』を強め一体感の醸成にすごく役に立つのです。
 今回ワッペンを創ったのは、月刊誌「航空ファン」の編集部員、雨宮さん。(上記中の写真)
 まさにGood Job!ですね。
 ワッペンは、一般に販売し、売上の一部は被災地への義援金となると言うことです。私も早速2枚注文させて頂きました。
 販売サイトはこちらです。皆さんご協力をお願いします!!
https://www.monoshop.co.jp/shop/products/detail.php?product_id=1162



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郷土部隊の自負/第22普通科連隊 [東日本大震災]

 読売新聞4月2日付け1面によりますと、政府がようやく今回の巨大地震の呼称を「東日本大震災」と呼ぶことにしたそうです。確かにこれまではマスコミごとに勝手に呼称していたんですね。私は偶然同じ呼称を使っていましたのでN/C(変化なし)でした。
 ★読売新聞3月28日朝刊第28面「24時」全紙特集記事
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  ★第22普通科連隊の被災地での活動
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 少し前の記事になりますが、読売新聞3月28日朝刊の記事に現地で行方不明者の捜索や被災者の支援活動に当たっている第22普通科連隊のことを大特集しておりました。(上記記事)
 第22普通科連隊は宮城県多賀城市に駐屯する部隊です。普通科連隊と言うのは、陸上自衛隊の師団や旅団の中で最も中核になる部隊で隊員数も多く、戦闘行動においては戦闘の最終の決を与える「突撃」によって地域を奪取する重要な任務を有します。
 ★勇猛果敢、靭強不撓な突撃に任ずる普通科部隊のイメージ
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 平時におきましては、全国に駐屯する普通科連隊はどこもそれぞれ「隊区」と呼ばれる担当の地元のエリアを任されており地元の様々な祭りやイベントにも密接に協力しております。「隊区」制度は地域に密着して支援できる陸上自衛隊ならではのシステムといえましょう。
 第22普通科連隊の駐屯する多賀城駐屯地のサイトにはこのような紹介文が掲載されております。
『北東に日本三景松島湾並びに日本有数の漁港である塩釜港。西に遠く蔵王連峰を臨み、北西に多賀城政庁跡・日本三古碑である「多賀城碑」と風光明媚な環境とみちのく人の温かい人情の下、隊員はのびのびと明るく勤務しています。』
 ★多賀城駐屯地のサイト http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/kakusta/tagajo/tagajo.htm

 まさに郷土に密着し郷土に愛されるふるさと部隊を目指し日々訓練に邁進しているのが全国の普通科連隊なのであります。第22普通科連隊も今回の災害派遣に際してはまさに地元の一大事であり、みちのく連隊の名に恥じない献身的な努力をしていることでしょう。
 記事によりますと、「頼りになる自衛隊だが、同時に彼らは被災者でもある。(中略)隊員その家族の被害も大きい。隊員はこれまでに2人が死亡し1人が行方不明。家族が被災した隊員も多く、陸海空合わせて隊員の家族の死者は約160人に達した。」
 記事の最後に国友昭第22普通科連隊長の言葉がありました。
 「現場で被災者のことだけを考え、必死で活動する隊員たちを誇りに思う。」
 誕生後60年の自衛隊の存在意義を今こそ国民が刮目して見ております。
 隊員の皆さん、今こそ普段培った個人の力、組織の力を地元のため日本のために発揮して頂きたいと切望してやみません。

 ★第22普通科連隊のサイト
http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/kakusta/tagajo/butai/22ihp/index.htm 
 ★第22普通科連隊の東日本大震災の活動状況はこちら
http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/kakusta/tagajo/butai/22ihp/katudou/saigaihaken/thouhokukanntou/newpage1.html

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