第73戦車連隊長平松1佐を表敬訪問 [訪問記]

本日、南恵庭駐屯地の第73戦車連隊長平松1佐を表敬訪問させて頂きました。第73戦車連隊は歴史は古く昭和27年に群馬県新町駐屯地に独立第1特車大隊として編成され、その後様々な改編の波に洗われながらも平成26年3月に常備化連隊となり現在に至っております。

「勝兜(かちかぶと)」がシンボルマークです。表敬記念に「勝兜」の達磨を持って写真を撮らせて頂きました。
★シンボルマーク『勝兜』の由来:
「北海道大演習場を見下ろしてそびえる恵庭岳、創隊時の主力戦車である74式戦車の履帯爪と勝利を表したV字を配して、中央に連隊番号の73を戦車に図形化して、全体的に戦国武将の兜に見たて、全隊員の勝利への意気込みを表現している。」
今週の土曜日28日に連隊の創立記念行事がありますが、平松連隊長のご快諾も得ましてその模様を撮影することになりました。また、今後上級部隊を通じて長期撮影取材の申請をあげることになります。
連隊の隊員の皆さんに喜んで頂ける映像作品を企画実行できるよう頑張って調整して参りたいと思います。


真駒内駐屯地に有吉11旅団長、山崎18連隊長を表敬訪問 [訪問記]

★旅団長室にて(右から有吉旅団長、高橋憲一氏、私、藤田真駒内駐屯地司令、島内業務隊長)
本日、真駒内駐屯地に第11旅団長、有吉(ありよし)陸将補と第18普通科連隊長、山崎1佐をお訪ねしました。
今回の私の役割は、高橋憲一氏の両指揮官への表敬訪問に同行することでした。
高橋憲一氏は、株式会社タケガサの社長、月寒忠霊塔奉賛会の専務理事です。旧陸軍の歩兵第25聯隊誌の著者でもあります。大学生時代を熊本で過ごしたことが、武道や歴史にも造詣を深くする契機となったんだそうです。
連隊長室、旅団長室での表敬と懇談は話が弾み、それぞれ予定を大幅に超過いたしましたが、真駒内駐屯地資料館における屯田兵や歩兵第25聯隊関連の貴重な展示品等の整備充実に高橋氏の助言指導が活かされることでしょう。

★連隊長室にて(中央が山崎18連隊長)
http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/head-of-division/index.html
http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/organization/no18-normal.html
隊付幹部候補生を激励 [訪問記]

本日夕刻、陸上自衛隊真駒内駐屯地を訪問し第18普通科連隊に隊付中の幹部候補生7名を激励させて頂きました。
12日(土)に札幌駅前の京王プラザホテルで18連隊の新年会に出席した際、私の隣に座ったのが防衛大56期生の小山明茂幹部候補生でした。ほぼ1年前のこの時期にも彼らの1年先輩の候補生たちを激励したのを思い出し今回もと思ったのでした。
今日は耳も痛くなるくらいの雪と寒さでした。連隊隊舎は朝からの降雪で雪に埋まっていました。シンボルマークにも雪帽子が。


幹部候補生達の担当教官三宿3尉の計らいで廊下の一角に場所を設けて頂き、私が昭和50年にこの連隊の第1中隊に幹部候補生として赴任したことや陸上自衛隊の絆について、少しばかりお話をさせて頂きました。7人の出身は、防衛大学校4名、一般大学(早稲田大学、筑波大学、弘前大学)3名です。
激励のあと、連隊や北部方面隊の歴史と今の姿を追った拙作のDVD2本をそれぞれに贈呈させて頂きました。


いずれは、各級指揮官として部隊の枢要な地位に就くであろう彼らの前途に栄光あらんことを心から祈ります。
今回、同連隊の副連隊長である成田2佐にもお会いし旧交を温めることができました。
成田2佐は、およそ30年前に私が倶知安駐屯地の第29普通科連隊(今は廃止)レンジャー主任教官だった時にレンジャー学生(当時の階級は成田3曹)として教育した隊員でした。
彼は、その後幹部試験に合格し幹部となり、FOC(幹部特修課程)を終えて昨年8月に副連隊長に着任したのです。正に紅顔の美少年だった当時の彼の面影を振り返りながらしばし昔話に花を咲かせました。当時の若い隊員が今や第一線部隊の中核で勤務している様子を見て、とても感慨深いものがありました。

我が原隊(第18普通科連隊)訪問 [訪問記]

昨日、陸上自衛隊真駒内駐屯地に所在します第18普通科連隊を訪問いたしました。
この18連隊は私が昭和50年に幹部候補生として勇躍赴任した懐かしの部隊です。小隊長、運用訓練幹部、そして第4科長として通算3度勤務をしました。
札幌市内は折からの低気圧の接近で雪模様。連隊の隊舎には、オジロワシをあしらったシンボルマークが掲げられています。
隊舎前の広いグランドでは、雪まみれになりながら隊員たちが戦闘訓練に励んでおりました。
私は、「我らここに励みて国安らかなり」の言葉を心に刻みながら隊舎に入りました。
入口を行って左手に本日の来訪者の看板がありました。訪れる部隊長の名前とともに「映像作家 小島肇」の名前が掲示されております。感謝ですね…

今日の訪問の目的は、新たな連隊長として着任された山崎繁1佐を表敬訪問することでした。
新しい連隊長が着任された時は、必ずご挨拶に伺うことにしております。
山崎連隊長は、防衛大の30期生。第12旅団司令部(群馬県相馬原駐屯地)第3部長からこの夏に着任されました。

しばし昨今の部隊事情について懇談。細部は省略いたしますが、防衛計画の大綱に基づき平成8年以降、陸上自衛隊は従来の北方重視施策から西方重視へと大きく舵を切っており、16年を経て、人員・装備等あらゆる面で北部方面隊もスモール&コンパクト化しています。
正にリアルタイムで動いている現在の北朝鮮や尖閣問題は決して今に始まった訳ではありません。西の脅威に対応した長期的な視野に立つ国の安全保障施策が、今や北海道の自衛隊にも大きな変化をもたらしているのです。
限られた予算の中で多くのことを求められている自衛隊の問題は等しく国としての安全保障をどう考えるのかとの課題そのものです。
実態をつぶさにお聞きして、北海道の第1線部隊の苦労が偲ばれました。
私も微力ながら今後お力になれることがあれば幸いです。
年明けの新年交礼会での再会をお約束して駐屯地を後にしました。
北の映像ミュージアム訪問記 [訪問記]

昨年9月にオープンしたという「北の映像ミュージアム」に昨日行って来ました。
先日の芦別映画学校のイベントに取材に来られていた「NPO法人/北の映像ミュージアム」の広報担当の新目(あらため)七恵さんがその存在を教えてくれたのです。
ミュージアムのある場所は、札幌の方であれば「旧北海道厚生年金会館」と言えばお分かりになるでしょう。中央区北Ⅰ条西12丁目のホテルさっぽろ文芸館の1階にあります。ホテルのフロント近くからエントランス(上記写真)が見えました。
到着しますと新目さんと再会。映画大好きで自ら熱望してこのボランティアをやっておられる彼女に早速ミュージアム内を懇切な説明と共にご案内頂きました。



映画好きなら見入ってしまうような目を惹くディスプレイの数々…
私は、23年前の自衛隊第11師団広報室長時代に協力した映画「マドンナのごとく」(名取裕子、加藤雅也、宍戸開主演)の名前を「北海道ロケ地マップ」のボードの中に探しました。
そして見つけました!!(上記写真) 平成元年当時、同時期にクランクインしていた「ベストガイ」(織田裕二主演)と共に記載されておりました。約2ヶ月あまり映画スタッフの皆さんと自衛隊シーンの撮影に行動を共にした懐かしい想い出です。

会場内には北海道にゆかりの映画人コーナーや北海道を舞台にした映画の鑑賞が出来るライブラリーも完備しており、時を忘れて楽しめます。戦後復刊した「キネマ旬報」も全号揃っているそうです。
写真撮影は出来ませんでしたが、あの巨匠、黒澤明監督の自筆のお手紙も間近に見ることができます。これだけでも必見の価値がありますね。

一番奥にどっしりと存在感を主張しております(上記写真)のが、このミュージアム一番のシンボルとも言うべき映写機です。
2004年まで札幌サンピアザ劇場で実際に使用されていたもので、札幌で3番目に古いものだそうです。鋳物製のため重さは何と200キロもある!! 隣に立って頂いた新目さんより大きい!!
私は、この映写機を見てあの名画「ニューシネマパラダイス」を想い出していました。一体何本のフィルムをこの映写機は映したことでしょう…

私が訪れたのは平日の夕方でしたが、会場には次々にお客様が訪れていました。
場所が少し札幌中心部からは離れており、またホテルのフロアと言うこともあり、まだまだ市民の認知度はこれからかも知れません。
私も個人会員(年会費3000円)に入会させて頂いたので、微力ながら今後機会を捉えて活動のご協力ができればと思います。
「北」の映像文化の拠点を目指して、数多くの方々の映画に対する熱い想いの結晶としてオープンしたこの『北の映像ミュージアム』
是非皆さん、何度でも足を運んで下さいね。
http://kitanoeizou.net
第18普通科連隊で隊付中の幹部候補生たちを激励 [訪問記]

本日、陸上自衛隊真駒内駐屯地の第18普通科連隊を訪問し、隊付中の幹部候補生たちを激励させて頂きました。
現在第3中隊で隊付訓練中の幹部候補生は、9名。防衛大学校出身が5名、北海道大学など一般大学出身者が4名です。女性自衛官も3名おり、多彩な顔ぶれでした。
★第3中隊の幹部室で9名の幹部候補生たちと(一番左は訓練担当の山崎3尉)

振り返りますと37年ほど前の昭和50年に私も彼ら(彼女ら)同様に、この第18普通科連隊に隊付幹部候補生として着任したのでした。
あのときのことを想い出しながら、これから陸上自衛隊幹部の道を歩み始める皆さんに少しだけお話をさせて頂きました。
旅団司令部のお膝元である精強18連隊での体験は自衛隊生活における『尺度』になるということ、そして、失敗を恐れずに頑張って欲しいということを伝えました。
とても生き生きと訓練に取り組んでいる皆さんたちの明るい表情に陸上自衛隊の未来を感じました。
みんな頑張れよ!!
北の司令部に反怖幕僚長(たんぷばくりょうちょう)を訪ねる [訪問記]
★北部方面隊のホームページより

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/index.html
本日、北海道防衛の要である北部方面総監部を訪問し、幕僚長であられる反怖(たんぷ)謙一陸将補を表敬させて頂きました。
反怖幕僚長は、防衛大学校の23期ですので、私より4年後輩に当たります。お互いもっと(今もお若いですが)若かったいわゆる青年将校時代に真駒内駐屯地に所在する精強第18普通科連隊で一緒に勤務させて頂いた仲であります。昭和55年頃の事です。まさに歩兵の絆と言いましょうか、何をやらせても強い第1中隊の所属でした。
★現在の第18普通科連隊

★第1中隊の応援旗

この4月に着任された反怖陸将補の現在の役職である「幕僚長」という職は、北海道に展開する陸上自衛隊北部方面隊約5万人を統率する北部方面総監を直接補佐するナンバー2と言う地位にあります。
お会いするのは、昭和50年代後半以来ですので、およそ30年ぶりなのですが、風貌は若々しく当時とほとんどお変わりない姿にやはり現職として日々鍛えておられるのだと思いました。
短い時間ではありましたが、それぞれの近況を情報交換させて頂き、また私の映像制作事業の一端をご説明し、最後に恒例の記念写真撮影を。
庶務班長の安楽2佐に撮影して頂きました。(下記写真)

この年になりますと、優秀な後輩の皆さんがどんどん自衛隊組織のトップに上り詰めて行くのがとても頼もしく誇りに思えます。
将軍(General)になられる方は、単に成績優秀だけでなく、人格的にも優れておらねばなりません。 私も現役時代によく先輩方から「心の統率」と言う事を何度も耳にしましたが、部下からも慕われかつ地域においても頼りにされる組織のトップリーダーとして力を発揮して頂かねばなりません。そう言う意味で日本の大事な北の護りにまたとない人材が来て頂いたと誠に心強く思った次第です。
反怖幕僚長が必ずや自衛隊の将来を担うトップの地位に上り詰めて頂くことを願いつつ、私は北部方面総監部を後にいたしました。

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/index.html
本日、北海道防衛の要である北部方面総監部を訪問し、幕僚長であられる反怖(たんぷ)謙一陸将補を表敬させて頂きました。
反怖幕僚長は、防衛大学校の23期ですので、私より4年後輩に当たります。お互いもっと(今もお若いですが)若かったいわゆる青年将校時代に真駒内駐屯地に所在する精強第18普通科連隊で一緒に勤務させて頂いた仲であります。昭和55年頃の事です。まさに歩兵の絆と言いましょうか、何をやらせても強い第1中隊の所属でした。
★現在の第18普通科連隊

★第1中隊の応援旗

この4月に着任された反怖陸将補の現在の役職である「幕僚長」という職は、北海道に展開する陸上自衛隊北部方面隊約5万人を統率する北部方面総監を直接補佐するナンバー2と言う地位にあります。
お会いするのは、昭和50年代後半以来ですので、およそ30年ぶりなのですが、風貌は若々しく当時とほとんどお変わりない姿にやはり現職として日々鍛えておられるのだと思いました。
短い時間ではありましたが、それぞれの近況を情報交換させて頂き、また私の映像制作事業の一端をご説明し、最後に恒例の記念写真撮影を。
庶務班長の安楽2佐に撮影して頂きました。(下記写真)

この年になりますと、優秀な後輩の皆さんがどんどん自衛隊組織のトップに上り詰めて行くのがとても頼もしく誇りに思えます。
将軍(General)になられる方は、単に成績優秀だけでなく、人格的にも優れておらねばなりません。 私も現役時代によく先輩方から「心の統率」と言う事を何度も耳にしましたが、部下からも慕われかつ地域においても頼りにされる組織のトップリーダーとして力を発揮して頂かねばなりません。そう言う意味で日本の大事な北の護りにまたとない人材が来て頂いたと誠に心強く思った次第です。
反怖幕僚長が必ずや自衛隊の将来を担うトップの地位に上り詰めて頂くことを願いつつ、私は北部方面総監部を後にいたしました。
第11旅団長を表敬訪問 [訪問記]

1昨日、第11旅団長吉田明生陸将補を表敬訪問させて頂きました。
http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d
札幌市の南にある地下鉄自衛隊前駅を降りて真駒内駐屯地東門のゲートをくぐりますと、「災害派遣」の標識をつけた大型車両が何台も出発していくのが見受けられ、現在もなお10万人体制で自衛隊が、東日本大震災の復興支援活動にあたっていることを実感しました。
この真駒内の地は、明治初期の北海道開拓の時代に米国人エドウィン・ダンによって牧牛場として開かれました。戦後は、米軍が進駐し現在の真駒内駐屯地の何倍もの広大な地域はキャンプクロフォードと呼ばれておりました。
★進駐し兵員宿舎でくつろぐ米軍兵士たち

★昭和20〜30年代の真駒内(上空から)

この駐屯地は、今を去るおよそ40年前の昭和50年に、私が幹部候補生として第18普通科連隊に赴任して以来、師団司令部(広報、監察)など10年余りの勤務をした思い出の地でもあります。
★間もなく駐屯地のシンボル「サイロ隊舎」に満開の桜が

★懐かしい雪まつり真駒内会場の滑り台付き大雪像

6年前まで、毎年、冬になりますとさっぽろ雪まつりの真駒内会場として数十万人の観光客でにぎわいました。
特に隊員たちが心血を注いで制作した滑り台つきの大雪像は、子供たちに大人気で開催期間中は行列ができたのが懐かしく思い出されます。
自衛隊の削減(師団から旅団へのダウンサイジング)や諸々の事情のために平成17年を最後に40年にわたる歴史を閉じて真駒内会場が廃止されたのは当時広報で雪まつり担当した私にとりましても誠に残念なことでありました。
★吉田第11旅団長と

吉田旅団長への表敬は、安藤副旅団長も同席していただきました。安藤1佐は奇遇ではありますが、私が滝川10連隊の第4中隊長当時、一緒に勤務したことがありました。
吉田旅団長は、陸幕広報室にも勤務されたことがあり、自衛隊の広報活動にはご理解が深く、しばらくの間広報談義などに花が咲きました。
真駒内駐屯地では今年の創立記念行事は今のところ6月に予定通り催されるそうで、行事のビデオ記録撮影でまた訪れる約束をいたしまして、隊を後にしました。