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墓じまいの悩み事(その4) [気になる…]

高瀬石材店HP①370.jpg

 亡くなった父が宮崎に遺した墓のしまい方について2ヶ月あまりの間、悩みに悩んだあげくに辿り着いた高瀬石材店のホームページ。
 それは、私にとっては、言葉は悪いが(ピッタリかも知れぬが)まさに『地獄に仏』でありました。
 まるで私の疑問を待ってたかのような分かりやすい写真解説入りの墓じまいのフローチャート、そして墓じまいの関連サービス、特に『お骨の乾燥・パウダー化』部分には思わず見入ってしまいました。
 パウダー化により三柱以上の遺骨を一つにまとめることも可能とありました。

高瀬石材店HP②370.jpg

 私の頭の中にこびりついた疑問や悩みの固まりがみるみる氷解していくのを実感しながら、その場で高瀬石材店に電話を掛けたのでした。
 電話に出られた営業のK氏によれば…
 ①宮崎は墓じまいに関するニーズが大変高い。
 ②色んな大手のサイトも参考にしながらこれまでの経験からお客様の様々な疑問に分かり易く応える  ホームページとなるように努めている。
 ③やはり、お骨のスペースで悩まれる方が多く、乾燥・パウダー化の技術は必須である。

 丁寧な説明に、担当者のK氏の誠実な人柄も伝わってきて、この店に頼んでみようと私は即決したのでありました。
 その後、宮崎に住む一番上の姉の立ち会いのもとにK氏により墓を開けて頂き、お骨の状態を確認しました。

小島家累代の墓お骨3体.jpg

 墓石には四名の名が刻まれてましたが、実際には記名から判断して骨つぼは「甥」を除く三個でした。甥のお骨は母が四国から持ち帰ったときに元々無かったのか、幼くして亡くなった父の兄弟と一緒の骨つぼに納められているのではないかと推測されました。
 乾燥・パウダー化はそれぞれに行い、三個の保存用アルミ袋に収納し、改葬先の熊本の納骨堂スペースに合わせた高さ19センチ以下の1つのコンパクトな骨つぼに統一することとしました。
 墓石は解体して更地にして墓地の管理組合に返納することといたしました。
 これらに基づき、見積を作成してもらい、現在、墓じまいの時の住職様の派遣や改葬手続きについて順調に準備を進めております。

見積書370.jpg

 かくして、父が亡くなった平成12年以来、悩み続け、そしてこの一月に母が亡くなって以降の苦悶の日々(正直、何度も死を意識した)から、ようやく脱却できました。その間、2ヶ月。体重がおよそ5キロほど減っておりました。
 もともとあった実家の仏壇は、母が転居を繰り返す中で処分してしまっておりましたので、長男として札幌のマンションの私の編集室のデスク横に新たにコンパクトな仏壇を構え、現在は穏やかな気持ちで日々を過ごしております。 

仏壇のある編集室370.jpg

 映像作家としての仕事も様々な人との新たなる出会いもあり、今年は更に充実しそうな予感があります。
 普段は意識することがあまりない先祖からずーっと繋がる家系とお墓の問題ですが、今回ほどその大切さを思い知らされたことはありません。
 子や孫たちには、私のような悩みはしてほしくありませんね。
 これまで、支えてくれた家族や友人たちにも心から感謝したいです。そしてK氏にも。

[かわいい]決して同店から宣伝依頼されてこの記事を書いていることでないことをお断りしておきます。

http://www.e-ishiya.co.jp
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墓じまいの悩み事(その3) [気になる…]

高瀬石材店HP①370.jpg

 母が亡くなって2ヶ月あまり。消え入りそうな悶々とした日々を送っていた中ではありましたが、熊本での母の四十九日法要と納骨も何とか終え、いよいよ今度は墓じまいの実施要領の具体化に取り組まねばならない段階となりました。
 その契機は3月20日に訪れました。
 一抹の希望を託して終うべき墓のある宮崎の石材店がインターネット検索でヒットしたのです。
 その石材店が下記にリンクした高瀬石材店でした。         (次回に続く)
http://www.e-ishiya.co.jp/hakajimai.html
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墓じまいの悩み事(その2) [気になる…]

小島家累代の墓370.jpg

 母の死を契機にどっと長男としての重責が押し寄せてきたお話を前回しましたが、先行的に物事をてきぱきとできる方にとってはほとんど理解不能なのことなのかも知れません。
 しかしながら、何とかなるさ的な、のほほん性格の私にとりましては、問題を先送りにするのが常でありまして、いざ困難な状態に直面して右往左往となるのですね。
 かつての職務上で学んだ、いわゆる「任務分析」をすれば自分の地位役割(四人兄弟のただ一人の男)は明確なのでありますから、先行的に父が亡くなった20年前から墓じまいについてもやっておけば良かったのですが、ずるずると今に至ってしまったのが現実でありました。
 フェイスブックやブログでふだんお世話になっているインターネットを駆使すれば直ぐに回答が見つかりそうなもんですが、それが以外と自分のケースにピッタンコのものがない(笑)
 そうこうしている間にも時はどんどん経っていきます。
 墓じまいの際の問題は大きく二つ。納められているお骨の処置をどうするのか?と、墓石の撤去であります。
 ほとんど放置同然の宮崎のお墓は、墓石に刻まれた文字から祖父母と幼くて亡くなった父の兄弟と甥の4体が納められていることが分かってました。父のルーツは四国に在りまして、昭和39年に墓の建立に際して忙しかった父に代わり母が四国に渡り祖父らのお骨を持ち帰ったのでした。
 それから50年以上経っており、お骨の状態も確認しなければならず、しかしながら熊本の納骨堂の余積は限られており四体ものお骨をどうやって納骨堂に納めたらよいのか、この機会にまた新たに大きな納骨スペースの墓を建てるのか? じゃあ、それは場所はどこが良いのか、熊本か札幌か、はたまた九州のいずこか… 母の熊本での初盆は夏に迫っていますが、その時期と合わせて墓じまいを行うのか、別途計画するか、仕事の休みは取れるのか、兄弟との調整はうまくできるか…
 答えの出ない袋小路に入りこんだ私は、寝ても覚めても、まさに先祖の霊に取り付かれたのごとく気持ちは落ち込むはかりで悶々とした2ヶ月余りを過ごしていたのでした。
 そんなときに、藁をも掴むつもりで見ていたパソコン画面に宮崎のある石材店のホームページが目に留まりました。
 しかしその時はまだ、そのホームページが私が悩み抜いた長く暗いトンネルを抜け出すきっかけを与えてくれることになろうとは知るよしもありませんでした。 (次回に続く)
高瀬石材店HP①370.jpg

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墓じまいの悩み事(その1) [気になる…]

小島家累代の墓全景370.jpg

 私、九州宮崎生まれの熊本育ち。四人兄弟の長男(姉二人と妹)。陸上自衛隊定年後は住み慣れた札幌市内に定住しております。
 二十年ほど前に熊本の実家の父が亡くなり、そして熊本地震の時、震源近くの高齢者ハウスに住んでいた母は地震の煽りで太宰府の姉の近くへ。今年の1月に98歳で他界しました。
 事情もあって、祖父母等は宮崎の墓に、父は熊本の納骨堂に入ってます。当然母のお骨は父と一緒の熊本の納骨堂となるわけですが、問題は宮崎の墓をどうするのか? 二ヶ所に別れていては私どももそうですが。子や孫たちも困るでしょう。本来なら母が生きている間に宮崎の墓じまいをしておくべきだったのですが、長男の私が遠く北海道に住んでいることもあり、また仕事の忙しさにもかまけて長い間そのままなおざりになっておりました。
 その母が亡くなりますと、長男である私に墓じまいの役割がずしんと否応なしに突きつけられることになりました。今回、母の葬儀、四十九日法要、納骨と怒濤のようにに法事が続くなかで如何に宮崎の墓じまいをしたら良いのかとの命題が長男である私に重く重くのし掛かりました。
 そのストレスは仕事の悩みとかとは全く異質の個人のアイデンティティーと言いますか、ルーツ、根源に関わる部分であり、寝ても覚めても脳裏から離れることはなく心身ともに深い疲労感に満ちたものだったのです。
 毎日新聞の滝野隆浩さんがFACEBOOKによく人の人生の閉じ方やお墓のことなどをシリーズで書かれておりますね。まさにそのようなことが現実の問題として私を苦しめようとは思っても見ませんでした。
 次回は、私がそのような墓じまいに係わるストレスから如何に脱却できたかの顛末を御紹介したいと思います。



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